ううう書くことが薄いです半分コピペです

昨日お風呂で買ったまま放置してた「妄想少女」って本を半分くらい読んだんだけど、なんかそこまで私にしっくりくる本じゃなかった。

最初パラパラ見た時は自分と重なりすぎて、読んだら私の正当化してきた自分が粉々になっちゃう気がしてたんだけど。

書いてる子が若いってのと(書いている当時は。実際は私の1つ下)、私は彼女程鬱じゃない点(というか彼女は鬱病という病気だが私は病気じゃない)、容姿やら境遇が私と違う。

私は彼女ほど子供じゃないし、彼女ほど弱くないなと思った。

精神的に弱い子は、多分私なら「負けねぇ」とか思う出来事にも「もうダメ」ってなるんだろうね。

でも彼女には私と似た点もたくさんあって、共感する事もあった。
同じじゃないにしろ、私より症状が重いんだなぁと思う事もあった。
症状とか言ってるけど別に病気じゃないんだけど。笑

「異性に可愛いって言われたい」とか「愛されたい」「攻められたい」「優しくされたい」「甘えたい」とかって、そりゃもう私含め女の子は皆思う事だから、仕方ないと思う。

でもって彼女の場合二次元に走って終いには妄想に走ってしまうわけだけど、私も妄想までいってしまう。←

私が彼女と違うのは、妄想を妄想と自覚しているかどうか。

彼女の中で妄想が妄想と分かってしまった時が、妄想の終わりだった。

私は妄想を妄想と分かった上で妄想しているから、根本的に妄想の種類が違う。彼女的に言えば私のは想像なんだろう。

でも、うーん。彼女の場合はもはや幻覚と同じだったから、それは病気と呼べるのかもだけど、私レベルの想像なら、皆しないのかなぁ?

彼女が例として

教室にいるのが嫌で辛くて、いつも扉を見ていた。彼が「帰ろう」って言って扉をあけてくれるのを待ってた。

って書いてて、なんて少女漫画的!(笑)ってのは置いておいて、私だってとにかく教室にいる時間というか何もしないでワラワラしてるあの時間が嫌いで、そんな王子様みたいな人が来たら「いいな」って思ったもん。

何してても、こうなってこうなって最後はこうだったら「いいな」って考えてしまう。

確かに私はだいぶ妄想癖だとは思うけど、彼女みたく自分が「妄想少女」という括りというか、普通じゃないみたく思ってない。

つまりは、彼女は鬱という病気の中で妄想という行為を行ったが為に、妄想自体も何かしら特殊な行為だと認識したのではないかと。

いや、鬱病についてあまり知らないから(今度調べよう)、あくまで私の推測なんだけど、鬱病が幻覚を見せただけで、彼女の妄想自体には何も特殊な事はなかったんじゃないかなぁと…

彼女の中ではあくまで妄想は特別な事なんだろうけど、一般的に言えばそんなに珍しい事じゃない気がする。

だから、「妄想少女」という風に自分を呼ぶにしても、鬱病で在るが故の1つの症例としてそういうケースもある、という意味で使うべきかと。

って、彼女はそこまでその「妄想少女」って単語にこだわっているわけじゃないのだけど。笑

私はその特殊な呼び方がちょっと気になってしまったのだ。うん。笑

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

…てのがもう1個のブログからのコピペ。笑

でもってげんしけん仕様な追記をここから書いてみようと思う。
生憎とても恵まれているので今日も一日無駄な事(1日ボーっとすること)で過ぎていくと思うので、書くよ。長々と書くよ。

その本(今読み終わった)ではね、BL小説を抱かれたい理想像として挙げているわけだが、全国の腐女子はきっとそれに物申すと思うんだ。少なからず反論する人がいると思うんだ。

結論から言うとBLって傍観するものだから。きっとそれはなんていうか、BLじゃなくても官能小説でも事足りる楽しみ方なのだと思う。

つまりはおかず的使用法だよね。人はそういう雰囲気を感じ取ると「感じる」事が出来るはずだから。

でも彼女(筆者)はそれについてあんまり触れていないし、現に彼女は官能小説も嗜んでいる。この本の彼女を見る限りでは、彼女はBLを好んでいるというよりもとにかく濡れ場があれば、みたいな節があるんですよね。うん。

ま、だからといって私はそんな楽しみ方もありだと思うわけです。

なんか飲んでた時にナツメさんにダラダラ話してナツメさんを退屈させた(と自負しているorz)内容をまた書くとですね、そもそも私がBL好きになったのはルルというキャラ萌えしている対象がBL界に居たからなわけですよ。

キャラ萌えってのはそのキャラを愛するわけで、つまりはなんですか、そのキャラが好きでそのキャラに憧れてて、そのキャラが作品の中でどんな立場にいるかみたいのが好きで、多くの場合、自分とキャラを同じ対照として見ているわけです。二次元だとは理解しつつも(してない人も居るけど)。

私にとってそんなルルがスザクに色々されて大変な事になっているのを見て、ああこんなルルも好きvってのがそもそもの私の腐女子暦の始まりで。

つまりは攻め役が誰であろうと最初は良かったわけですね。(スザクはウザクだし)

その後、ですよ。なんとなくBLに慣れてきて色んなBLを読んだ私は思うわけです。

BLは傍観するものなんだと。

よくよく考えてみれば、BLってのは私以外の相手(♂)に対して彼(私の場合ルル)がとる行動や言動が綴られているわけで、絶対に自分をそこに重ねる事は出来ないわけです。

私にはついてないわけで。ついてないものを色々されても自分だったらという感じ方は出来ないし。(まぁ、そもそも自分が男ならという感じ方は出来るかもだけどそれは置いておいて)

キャラ萌えの域を超えてしまっているわけです。

ルルが好きで、ルルと結婚してしまいたい私の中で、スザクを愛していてスザクとイチャパラなルルをどうして許せようか。
それなのに何故私はスザルルを許容してスザルルに萌える事が出来ているのか。

何故ならBLは傍観するものだから。

これが本当のBLの楽しみ方というか、腐女子の本質なんじゃないかと私は思うのです。

傍観を楽しむわけですよ。

のぞきみたいな。←

でもね、そうは言っても、私も昔はBLは濡れ場以外読まなくて(おい)、普通に官能小説と同じ扱いをしていたんです。

でもでもでも、今ならそういう捕らえ方はとても損をしているなと思える。

BLには素晴らしい人間愛が込められていると思うし、深く考えてみれば性別を越えた愛なんて官能小説にはないくらい大きな愛なんですよ。

やおいとか言いつつ、最近のBLの愛は計り知れない!やましおちなしでも意味はある!

うちのサークルの先生方よりBL暦が浅くて、まだまだな私ですが、BLの本当の良さを学んでいる実感はとてもあります。

とにかく、キャラ萌えの域でBLを読むのはもったいない。

キャラを愛していて、愛しているからこそキャラの好きな相手と幸せになって欲しいってのもあるし(これはまだキャラ萌えの延長)、キャラ関係なくその2人の関係性に深いものを感じる気持ちもある(ここまでくればキャラ萌えじゃないと私は思う)。

たかが一腐女子の戯言ではありますがね、BLは官能小説とかとは違う分類だと思うわけですよ。(かと言って官能小説にも美学はあると思うのだがそれは置いておいて)

おかずの類よりも深いものがそこにはあると考えるわけですよ。

腐女子バンザイ!


本の話に戻ると、結局は彼女は攻めのキャラ設定にしかあまり関心がなくて、つまりはまだキャラ萌えの域でBLを楽しんでいるというわけ。

それを、私は損な楽しみ方だと感じるのです。

BLはもっともっと深いんだ…!!

そう伝えたいわけです。


文章力無いなりに言いたい事は言えた気がする。

でもまだ腐女子という括りはそもそもどこからどこまでなのか、が分からない…

ああああああああ

難しい…


ご飯食べよう…